「Space for your future-アートとデザインの遺伝子を組み替える」

会期:07年10月27日(土)〜08年1月20日(日)
会場:東京都現代美術館企画展示室全フロア

《展示された作品のアーティスト》


nendoエリザベッタ・ディマッジョマイケル・リンR&Sie(n)+DCOSMIC WONDERAMID*SANNAエルネスト・ネトMONGOOSE STUDIOコンテニード・ネト嶺脇美貴子/足立喜一朗フセイン・チャラヤンショーン・グラッドウェルトビアス・レーベルガータナカノリユキアシューム・ヴィヴィッド・アストロ・フォーカスカーステン・ニコライダイキン エア・デザイン・プロジェクト植原亮輔と渡邉良重東泉一郎/グラッツィア・トデリパトリック・トゥットフォーコ/オラファー・エリアソンルカ・トレヴィザーニBLESSカンパナブラザーズデマーカスファン/バーバラ・フィッセル蜷川実花石上純也アピチャッポン・ウィーラセタン



【2F】


展示はチケットチェックの手前の2Fエントランス・ホールからはじまります。

最初の作品はnendo作《kazadokei》。

全長は15メートル。白いチップをしきつめた細長い土台の上に、細く白い棒が間隔をあけて一列に立ち並び、それぞれの棒の先端に取り付けられた2本の針がゆっくりと動いています。

 作品紹介によると、全体が秒針で「《kazadokei》は何時何分という時間の座標を示す〈時計〉ではなく、時の流れを体感させるセンサー」ということですが、エントランス・ホールというザワついた状況に作品そのものの存在感が薄くなってしまっていました。



【3F】


エリザベッタ・ディマッジョ《無題》


 

チケットチェック後はまずは3階へ移動。エスカレータが登り切ると、正面の天井から何枚もの大きな白い紙が吊られているのが目に入ります。近寄ると紙には細かいカットワークが施されているのが分かります。作者はエリザベッタ・ディマッジョ。無題と題されたこの作品は、「水性微生物をモチーフとしている」ということですが、市街地図がいつのまにか花の形にメタモルフォーズしていくようにも見えます。ゆらゆら揺れる紙の下を行き来して、表から、裏から作品を見るというのも面白い体験でした。


マイケル・リン《無題》


白い紙の作品の次は白い部屋。白い部屋の奥の一面にのみ、色鮮やかな花模様が描かれた大きなカンバスがかけられています。よく見ると、白いと思っていた壁には全面に鉛筆で花模様が描かれて、その模様はカンバスの中の花模様につながっています。作者はマイケル・リン。この作品も無題です。


R&Sie(n)+D《聞いた話》


ふたたびディマッジョの作品を通って、今度はもう一つの部屋へ。ディマッジョの作品が平面のカットワークだとしたら、今度の作品は空間のカットワークでしょうか。
 
薄暗い部屋の中央には、ガラスケースに納められた白いオブジェがひとつ。白い樹脂のようなものが、複雑に絡み合い、融合しあって、多孔質でしかも表面のなめらかな不思議なフォルムをもつ物体を作り上げています。《聞いた話》と題されたこの作品の作者はR&Sie(n)+D。

 「自己増殖する不定形な都市のイメージを、コンピュータの3Dデータがそのまま立体として塑形されるFDMという技術によって立体モデルとして視覚化したもの」だそう。
 
イマジネーションだけでなく、その実体化に用いられるテクノロジーも現代アートの魅力のひとつ。そういう視点から見ても面白い作品です。


COSMIC WONDER《magic village》、前田征紀の《Light Lodge》


薄暗い部屋を抜けると、今度は薄明るい展示室。床に並べられた様々な布の上に枝や布で作られたテントが張られ、テントの上には天井から布が下げられています。COSMIC WONDERによる《magic village》という作品です。
 
《magic village》と同じエリアには、前田征紀の《Light Lodge》と題された作品も展示されています。《Light Lodge》は4畳半ほどの箱形ブースで、円形の窓から中を覗くとモノリスのような物体と鏡のようなものが見えます。靴を脱いで中に入ることもできますが、中に入ってしまうと、窓からのぞいていた時に感じたオモシロ味が薄れてしまうのが不思議です。


AMID*、SANNA《フラワーハウス》、エルネスト・ネト《フィトヒューマノイド》


 

次は、このフロア最後の部屋です。
 
大きな部屋の中に、AMID*アーキテクチャー(cero9)による建築のプレゼンテーション、SANNAの《フラワーハウス》、エルネスト・ネトの《フィトヒューマノイド》が展示されています。
 
AMIDのプレゼンテーションは、映像作品やオブジェで表現された建築モデルには、独立した作品としての説得力あったものの、それ以外のボード展示は、学生の課題がかっこよくディスプレイされただけのようにも見えます。


 
SANNAの《フラワーハウス》も、いまひとつチャチな印象がつきまといます。

  エルネスト・ネトの《フィトヒューマノイド》は、実際に座ったり、穴のあいた所に頭を入れて着用して寝転がることのできる「一人一人が体感できるソフトスカルプチャー」。触感からはソフトビーズを詰めた生地で出来ているように思えます。アイデアも面白いし、作品も楽しい。ただ一つ残念なのが、よく触れられる部分が垢染みになっていたこと。その汚れのせいで、着用するのにはかなり勇気がいりました。実際、その場にいた他の女性客は、試したいけど汚れていないのがないならやめる、といった具合でした。作者は汚れによる反応も作品の一部として想定していたのかどうか、聞いてみたいところです。


MONGOOSE STUDIO《fuwapica future》、コンテニード・ネト《Project:ContenidoNeco》


 

フロアを一巡したら、上がってきたエスカレーターで、下の階へ移動です。
 
その前に、エスカレータ脇に展示されているMONGOOSE STUDIOの《fuwapica future》をチェック。《fuwapica future》は、一見白く半透明な四角いスツールですが、人が座るとピンクやブルーなどに色が変わります。座り方によって色や明るさが変わるのは空気圧センサのおかげだそう。
 

このフロアの最後の作品はコンテニード・ネトの《Project:ContenidoNeco》。ペットボトルを特別なカッターでリボン状に切り、できたリボンを使ってバッグなどを作るというプロジェクトの映像。ちなみに、コンテニード・ネトの国アルゼンチンでは、ペットボトルは日本のようにリサイクルされていません。コンテニード・ネトのアイデアそのものがアートということでしょうか。



【2F】



嶺脇美貴子《mineorities》


 エスカレーターでひとつ階を降りると、踊り場のようなスペースに展示されているのが、嶺脇美貴子の《mineorities》。白いテーブル状にしつらえたボードの上に、アクセサリーのようなものが並べられている。「身近な素材を丁寧に輪切りした上で、それらをつなぎ会わせ、ネックレスとして整えた作品」らしいです。面白いとは思いますが、それどまりでした。



【1F】



足立喜一朗《e.e.no.24》


 エスカレーターでさらに降りて1階に。暗い部屋の中に、ミラーボールのぶら下がった電話ボックスがひとつ。よく見るとヘッドホンががあるのがわかります。電話ボックスの傍らの壁面で上映されている映像をみると、どうやら一人用ディスコらしい。作者は足立喜一朗。《e.e.no.24》という作品です。このディスコ、外から中は丸見えだけど、マジックミラーなので中から外は一切見えない、という仕掛けがミソらしいです。


フセイン・チャラヤン《LEDドレス》


 

次も暗い部屋、その中でトルソーに装着されたドレスがぼんやりとした光を放っています。フセイン・チャラヤンの《LEDドレス》。展示ではトルソーをつかっているのであまり驚きはありませんが、同時に上映されているメイキング映像や、実際のコレクションでモデルが着用してランウェイを歩いている姿を見るとさすがに感心します。


ショーン・グラッドウェル


次の部屋は、ショーン・グラッドウェル。壁面ひとつを丸々スクリーンにした作品や、カメラを装着して自転車で走った時の映像を、床に映したり、PSPの画面で見せたりする作品。床面とPSPの作品は面白かったのですが、壁面のものは遮光がよくなくて、映像のクオリティがイマイチに。せっかくのインパクトが半減して残念でした。


●トビアス・レーベルガー《母型81%》、タナカノリユキ《100ERIKAS》、avaf《anatato vuivui attoteki fukusayo》


 次の大部屋は、トビアス・レーベルガーの《母型81%》とタナカノリユキの《100ERIKAS》とアシューム・ヴィヴィッド・アストロ・フォーカス(avaf)の《anatato vuivui attoteki fukusayo》の展示。
 
トビアス・レーベルガーの《母型81%》は、カラフルでポップな素材を使った実物の81%サイズのガレージ。作者から認証状を購入すれば、見よう見まねで同じものをつくる権利を得ることができます。
 
タナカノリユキの《100ERIKAS》はタイトルどおり100種類の沢尻エリカのポートレート。同じアングルで、メークだけを変えて100種類のキャラを作っています。アイドルの写真集と何がちがうの?といってしまえばそれまでのような気も。
 
アシューム・ヴィヴィッド・アストロ・フォーカス(avaf)の《anatato vuivui attoteki fukusayo》。「ゴミやとるにたらないものをリミックスし、楽園に変容させるavafの錬金術」とガイドマップにはかいてありますが、チケットや物販のファイルに使用した他の作品の写真と比較すると、今回の作品は錬成に失敗してるような気がします。


カーステン・ニコライ《フェーズ》


 吹き抜けを覗きながら1階最後の部屋に。

 カーステン・ニコライの《フェーズ》。霧と光を使ったインスタレーションらしいのですが、遮光とかがいまひとつ中途半端で印象にのこりませんでした。


 


【B1F】



 

マップB1Fに掲載されている作品には、行き方が分からなくて到達できませんでした。
 (ダイキン エア・デザイン・プロジェクトの《air relation》と植原亮輔と渡邉良重の《時間の標本》)



【B2F】



東泉一郎《MIRAI》、グラッツィア・トデリ《バベル・レッド》


このフロア最初の展示は、入り口正面の壁面全体を使って上映される東泉一郎のアニメ《MIRAI》。白地に黒い線で表現されたアニメはそれなりに面白いのだけれど、あまり印象にのこらなかったのはぜでしょう。

入り口左手に小さなブースを作って上映されていたのがグラッツィア・トデリの映像作品《バベル・レッド》。二つに折り曲げられた画面の左右それぞれに、微妙に異なる映像が映し出され、それが呼応するように変化していく。入り口なので、なんとなく落ち着かず、早々に移動。


パトリック・トゥットフォーコ《長距離走者》


パトリック・トゥットフォーコの《長距離走者》では、壁に立てかけで並べられた3つの円形のスクリーンそれぞれに、異なる映像が映し出されます。映像は、作者が中国やインドを旅しながら撮影したもの。横一列に並んだ3つの円に、最近オープンした鉄道博物館のロゴを思い出し、長距離走者というよりは、長距離列車のイメージに。入り口の隣のせいか、遮光が甘いため映像があまり映えなかったの残念です。


オラファー・エリアソン《四連のサンクッカー・ランプ》、ルカ・トレヴィザーニ《プラチナ・イリジウム》


次のコーナーはオラファー・エリアソンの《四連のサンクッカー・ランプ》。サンクッカーは、太陽光を集めてその熱で調理をする機器。それに光源を組み合せた作品。ランプの光がサンクッカーの銀色のパラボラに反射してまばゆいばかり。

その隣の小部屋は、ルカ・トレヴィザーニの映像作品《プラチナ・イリジウム》を上映。林立する蛍光灯のような光の間を歩いていく男の姿が印象的でしたが、中途半端に人が詰まっていたのとどの程度時間がかかるかも分からなかったので、ちょっとみただけで次へ。


●BLESSの《BLESS N°32frustverderber》、カンパナブラザーズ《ムルティダオ・チェア》、デマーカスファン《レースフェンス》《シンデレラテーブル》


次のコーナーは、BLESSの《BLESS N°32frustverderber》、カンパナブラザーズの《ムルティダオ・チェア》、デマーカスファンの《レースフェンス》と《シンデレラテーブル》。

 《BLESS N°32frustverderber》はサッカーをテーマとしたヴィデオ&インスタレーション。普通の男女がボールを奪い合っている映像の傍らに、サッカーゴールが置かれ、リビングのようなセットが組まれています。「サッカーゴールの周りには家具や絵画などの高価な調度品が置かれ、シュートによってそれを壊されまいとする住人がゴールキーパーとしてソファに座っている。」という設定らしい。

ちゃんと遮光してないせいで、映像はハッキリしないし、他の作品と相部屋状態なので作品に入りこめませんでした。もっとも、コンディションが良かったら作品の印象が良くなったか、ていうと、それは疑問ですが。
 《ムルティダオ・チェア》は、小さな布人形をつないで椅子のシートにしたもの。正直あまり気持ちのいいものではありません。

 《レースフェンス》は、一般に単調な編み目で作られるフェンスを、レース編みのように編んだ作品。フェンスに対する既成概念を鮮やかに打ち壊し、華麗に再構築してみせてくれます。アイデアが面白いだけでなく、それを実体化させた技術にも脱帽です。

 《シンデレラテーブル》は、木を有機的な形に切り出した作品。複雑な曲面はコンピューターによるものだそう。


バーバラ・フィッセル《俳優と詐欺師》《変容の家II》


 次のコーナーはバーバラ・フィッセルの作品《俳優と詐欺師》と《変容の家II》。《俳優と詐欺師》は、ムービーの画面だけが空中に浮かんでいるように見える不思議な作品。しかもその画面は両面から見ることができます。

空中に浮かんだの表と裏に、一人の俳優の異なる演技を同時に映したもの。片方の面では俳優は「俳優」を、もう片方の面では「詐欺師」を演じています。同じセット、同じ衣装で演技のみが異なる映像を、観客は画面の表と裏を行き来して見比べることができます。

画面のみが宙に浮かぶという驚きと、一人の人物の本音と建前を同時にみているような錯覚は、展示でこそ味わえる面白さといえるかもしれません。

 《変容の家II》も映像作品ですが、黒バックのモノクロ作品のため、壁面の黒に映像の背景がとけ込んで、舞台となる箱型の家がまるで宙にういているかのように見えます。

場面は、見る側の意表をつく展開で、次々に変化していき、最終的には振り出しにもどる。エンドレスで見入ってしまう、密度の濃い作品でした。


蜷川実花《my room》


 

バーバラ・フィッセルの次は、蜷川実花のインスタレーション。箱型に作られたブースの内部は壁面から床にいたるまで赤を基調とした極彩色。色の正体は大きく引き延ばされた造花や金魚の写真。色の洪水の中に、さらにパネルで写真が展示されています。全身で蜷川実花の世界を感じることのできるインスタレーションです。


石上純也《四角いふうせん》


 

蜷川実花のブースをでると、次はアトリウム。床面のB2階から3階まで吹き抜ける大空間いっぱいに、巨大な四角いオブジェが浮かんでいます。表面は金属的な光沢を放っているので、「金属が浮かんでいる」ような感じを狙っているのがわかります。
 
雑誌やテレビの画面で見た「アトリウムに浮かぶ巨大な金属の四角い塊」は、たしかに「スゴイ!!」と感じさせるものでした。実際、今回の展示に足を運んだもの、これの実物を見たかったから。
 
で、実物をみておもったのが・・・・。「意外とチャチい」表面を覆うアルミはシートを継いで使っていて、しかもあちこちに浮き上がってしまっている所があって、なんだかプレゼン用ダミーぽい。
 
しかも近くでみると、用意に構造の察しがつく。四角い形状に風船を縫ってその外面にアルミシートはってみた、という感じしかしません。事前情報で1トンという重さを聞いてるから凄いと思うだけで、それだって現代の技術力を考えたらさして驚くほどのことではないでしょう。商用の飛行船とか日々見てるわけですから。
 
そんな現実の中で、それでも「すごい」と思わせて、「目からウロコが落ちた」ような気分にさせてくれる「作品としての説得力」が、実際に見た「四角いふうせん」には希薄だったような気がします。
 
雑誌の写真やモニターの画面では、何百分の1に縮小されたため、実物の作りの甘さは見えてきません。作者の石上純也は、「四角いふうせん」そのものを「作品」として作っていたんでしょうか。私にはこれは「プレゼン用のダミー」にしか見えませんでした。
 
「巨大な金属が浮かぶ」違和感を「四角いふうせん」で表現するというアイデアは面白いと思います。しかし、視覚的な説得力を考えたら、シートを継ぐという体裁でよかったのか疑問です。実際にアルミシートを使わなくても、金属的な面を作り出すことは可能なんですから。それとも、1トンを浮かすというところにポイントがあるんでしょうか?それもちょっと的外れな気がします。とにかく、作品としてのツメの甘さが気になってしかたがありませんでした。
 
ちなみに、同じ様に吹き抜けのアトリウムを使った作品が常設の方にあったのですが、そちらの方は「作品」として密度の濃い存在感を放っていました。残念ながら、作者も作品名も分かりませんが。(展示場所でも、サイトでも確認できませんでした)


アピチャッポン・ウィーラセタン《エメラルド》


最後の作品はアピチャッポン・ウィーラセタンの《エメラルド》という作品だったのですが、なぜか、まったく記憶にありません。混んでいて部屋に入れなかったので、あきらめたのかもしれません。


 


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「アートとデザインの遺伝子を組み替える」というのがコンセプトだったらしいのですが、玉石混交といった印象を否めません。それは、作品として作られた密度の高い説得力のあるものと、プレゼンテーションレベルの造作の甘いものが混在していたせいのような気がします。展示側も自分達の立てたコンセプトにばかり気持ち行っているようで、作品ひとつひとつをきちんと伝えようという配慮に欠けていたように思えます。

 体験型の作品が薄汚れていたり、映像作品の遮光が十分ではなかったり。映像作品をあえてミュージアムという場で見せるのであれば、そこでしか得られないクオリティを提供してほしいものです。


 

企画展の後、常設に行きましたが、そちらの方が何倍も密度の濃い鑑賞ができたような気がします。あれだけのよい作品があるのであれば、「アート」とか「デザイン」という言葉にのっかった、表面的な格好良さを追った企画ものよりも、収蔵している作品の良さをきちんと伝えることを大切にした展示が見たいと思うのでありました。


 

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カネゴンのいる風景

『怪獣と美術』展には「カネゴン」と題された3枚の絵が展示されている。カネゴンは昭和41年に放送された「ウルトラQ」の第15話『カネゴンの繭』に登場した怪獣で、以後数十年の時を経た現代では独立したキャラとして知られる人気モノだ。もともとはコインに執着する少年が怪獣に変身してしまうという話だったと思う。さすがに初回放映時には観ていないが、後年の再放送は観たような気がする。放送はみていなくても、怪獣図鑑やソフビ人形ではアイドル級だったから、しっかり記憶に刻まれている。
 3枚のカネゴンの絵は、いづれもカネゴンの生みの親である成田亨の筆によるもので、1点は50.5cm四方のボードに、残りの2点はともに30cm×50cmの紙に、アクリル絵の具で描かれている。
 正方形の絵は、抜けるような夏の青空に、ぽっかり浮かんだ落花生型の繭を破って、カネゴンが立ち上がり遠くを眺めているところを描いたもので、青空と白い雲のたもとの画面下方に瓦葺きの民家が連なる住宅地が描かれ、遠くに小さくビルの影がみえる。制作年度は1993年だが、絵の中の風景は番組が制作された昭和30、40年代を思わせる。この絵を「カネゴンの繭」と私はこっそり命名した。
 横位置の絵の1枚では、カネゴンは夕焼け空の広がる空き地に置かれた土管の上に座り、コインをもてあそんでいる。空き地の向こうにみえるのは、背の低い家々。窓にともる灯りが、夕暮れを感じさせる。この絵の制作年度は2000年、しかし、ここで描かれているのも昭和30、40年代の光景である。私はこの絵を「夕暮れのカネゴン」と呼んでいる。
 最後の一枚は、画面の大部分が透明感のある夏の空で占められている。画面の下部には川が描かれ、向こう岸には他2作と同じ様な昭和の家並みが連なっている。その川をはさんだ手前の土手の上、画面右下の方に、コインをながめて考え事でもしているかのように歩いているカネゴンの姿が描かれている。制作年度は2000年。この絵を私は「散歩するカネゴン」と呼ぶことにした。

 「カネゴンの繭」はマグリッドを彷彿とさせる。爽やかな夏空の下の静かな住宅地、そののどかな光景の中にこつ然と姿を表した宙に浮かぶ繭とカネゴン、丹念に描かれた細部から立ち上るリアリティが、シュールさを際立たせている。これは、おそらくカネゴンを知らない人が観ても、シュールリアリズム的な絵画として心に残るのではないだろうか。平穏さの中に突如として姿を表す異様なもの、それがこの絵のコンセプトのように思える。だとしたら、それはまさしく「ウルトラQ」のコンセプトと同じだ。成田亨はそれをこの絵の中に表現することに成功したといえる。
 
「夕暮れのカネゴン」は、 「カネゴンの繭」のもつ一般的な芸術作品としての魅力と異なるところで、私の心に焼き付いた。この絵を観た時、自分の小さな頃のことを思い出した。私は小学校の低学年までを東京の北区ですごした。そのころの田端や西日暮里のあたりには、絵に描かれているような広場があちこちにあった。そしてそこには土管もあった。土管の中に潜り込んだり、その上に登って遊んだことを、「夕暮れのカネゴン」はスコーン!と私に思い出させた。土管の上に座っているカネゴンは私なのだ。

 「散歩するカネゴン」この絵の主役は、もしかしたら空、あるいは昭和30、40年代という時代の空気なのかもしれない。東京の空がまだ広かった時代、カネゴンがいた時代、そんなにさだかではない記憶の中の東京は、カネゴンという存在によって補強され、リアルな思い出のようなフリをして私の中浮かびあがるのだ。


++++++
『怪獣と美術』展 三鷹市美術ギャラリー

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川村美術館蔵 酒井抱一《隅田川焼窯場図》

 酒井抱一といえば、まず《夏秋草図屏風》や《八橋図屏風》など尾形光琳に関わるもの、そして、プライス・コレクションの《十二ヶ月花鳥図》が思い浮かぶ。いずれも、隅々にまで神経のゆきとどいた構図のもとに、制御された繊細な線と艶やかな色によって描かれた作品たちだ。私は、その表現に魅せられた一人である。
 また、抱一には、そうした繊細さとは対局の豪快な筆致の作品もある。全面銀地の大画面に墨で波を描いた《波図屏風》である。この作品も、私の心を捉えて放さない。
 そこにまたひとつ、抱一の異なる面をみせてくれた作品にあうことができた。
 《隅田川焼窯場図屏風》である。
 六曲一双の大画面の左隻には隅田川とその向こうに霞む富士山が、右隻には川ベリの焼窯場が紙本の上に墨で描かれている。
 モチーフの形は洗練されているのだけど、筆運びは軽く伸びやか。この絵からは、着色画に見られる自律した完璧志向は感じられない。
 最低限の要素を、あっさりと描いていることで、余白の中に風のそよぎや空気のゆらぎが見えて来る。
 そうした空気感は屏風というメディアによってさらに増幅され、見るものの動きとともに、絵の中の風景は微妙にその姿を変えていく。
 ただ、ずっとぼんやり眺めていたいと思わせる、そして、眺めている間じゅう、絵の中の眺めもひとつにとどまっていないだろうと思わせる、そんな作品だ。
 形に対する洗練された感覚を、肩の力を抜いて表現することができるセンスと余裕は、評伝から浮かぶ粋人としての抱一のイメージに違わない。
 着色画から感じられる完璧主義も、《波図屏風》の大胆さも、抱一であり、愛してやまない。でも、今の私は、粋人抱一の絵をスゴイと思う。
 この絵にあえて良かった。

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はじまるよ

はじまるよ

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埼スタぐるめ?

埼スタぐるめ?
ベトナム風挽き肉と野菜のせご飯。600円なり。お味はまあまあまあだったけど、器の底に油溜まりが(^_^;)

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今年気になる展覧会

4月
〜5/20(日) 澁澤龍彦-幻想美術館- 埼玉県立近代美術館
4月28日(土)〜6月10日(日)鳥居清長-江戸のヴィーナス誕生-千葉市美術館
4月28日(土)〜6月24日(日) コレクションによるテーマ展IX 和を装う本 うらわ美術館 ギャラリーD
4月28日(土)〜5月27日(日)〈前期〉5月30日(水)〜7月1日(日)〈後期〉肉筆浮世絵のすべて -その誕生から歌麿・北斎・広重まで- 出光美術館

5月

6月
6月16日(土)〜7月29日(日)中国・青磁のきらめき ?水色から青、緑色の世界? 静嘉堂文庫
6月16日(土)〜8月19日(日)開館記念展II「水と生きる」 サントリー美術館

7月
7月28日(土)〜8月26日(日)ルドンの黒 Bunkamuraザ・ミュージアム

8月
8月7日(火)〜9月17日(月)A:都市のフランス 自然のイギリス〜18・19世紀絵画と挿絵本の世界〜
B:若冲とその時代  千葉市美術館

9月
9月1日(土)〜10月21日(日)開館記念特別展「BIOMBO/屏風 日本の美」展(仮称) サントリー美術館
9月1日(土)〜10月28日(日)センガイ・SENGAI ?禅画にあそぶ? 
9月8日(土)〜10月21日(日)怪獣と美術 −作家の心象風景に立つ怪獣たち− 三鷹市美術ギャラリー

10月
10月6日(土)〜2008年1月6日(日)ムンク展 国立西洋美術館

11月
11月3日(土)〜12月16日(日)開館記念特別展「鳥獣戯画がやってきた!?国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌?」展  サントリー美術館
11月11日(日)〜08年1月6日(日)星をさがして−宇宙とアートの意外な関係 千葉市美術館

12月
12月4日(火)〜2008年1月27日(日) 北斎とシーボルト展 東京都江戸東京博物館

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MOA美術館蔵 尾形光琳《紅白梅図屏風》

Byobuおそらく、光琳の紅白梅図の中でも、もっとも良く知られた作品がこの屏風。年に一度、梅の花の時期にだけ展示されます。幾度となく図版で目にしたし、テレビでも見た作品だけど、現物を前にすると、記憶の中の絵とは感じがちがうことに気づかされます。
 苔むした幹のしっとりとした肌合い、金箔の中から浮き上がる白梅の白、紅梅の紅。あり得ない形で迫って来る白梅の枝の迫力と、控えめなカーブを描いて伸び上がる紅梅の枝の優美さの対比。
 白梅の枝の描く V字の底点を、折り目に配置することで、立ち上がる枝の先が見ている方に差し伸べられるという趣向は、心憎いばかり。
 やっぱり屏風は現物を立てたところを見るのが一番です。
 近づいたり離れたり、正面から見たり斜めから見たり。見る位置や角度によって屏風は様々な表情をみせてくれます。ベストビューポイントは作品によって違いますが、この作品に関しては、私のベストポイントは正面2m弱ぐらいの距離。川の真ん中から両岸の梅を愛でる。そんな気分に浸れます。
 
 この屏風には一部屋が与えられ、思う存分作品の世界にひたれました。贅沢をいえば、私としては、あと5度ぐらい屈曲を強くして欲しかったかな。その方が枝の仕掛けが生きてきたような気するんですが・・・。

 写真は、お土産に買った2筆箋。厚手の紙に印刷してあって真ん中にミシン目が入っている。上下を切って折り曲げるとミニチュア屏風が出来上がり!(これとは別に、ちゃんとしたレプリカもあります)

 来年も、また見にいっちゃおうかな。

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MOA美術館へ(〜via 天国へのエスカレーター?)

「展示室までは、エスカレーター7機乗り継いで行きますから、身軽な方がいいですよ。あと、展示物以外は撮影できますから、カメラお持ちになるといいですよ。」
 玄関扉の前の守衛さんの言葉に、慌てて玄関外にあるロッカーエリアに向かう私。
 アノラックで着だるまになっている上、パンパンになったショルダーバッグを袈裟懸けにした姿を見かねて声をかけてくれたらしいです。
 ちょっとした気配りだけど、なかなか出会えるものではありません。
 入館前から美術館の好感度上昇です。

Stepfloor
 中に入ると、まず第1のエスカレーターが目に入ります。巨大なチューブの中を這い上がっていくエスカレーター。エスカレーターを飲み込んだ天井は、照明で彩られ、その色が秒刻みに変化します。急角度で上がる長いエスカレーターはほとんど「天国への階段」。最初のエレベータが終わると踊り場を経てすぐ次のエスカレーターへ。2機目の頂上にはドーム天井のホールが。

2ndescaHall

Scean
 エスカレーターで延々上がったところでようやく展示室フロアに到着。目玉のひとつは秀吉の《黄金の茶室》の再現。でも、まずは眺望を堪能しながら、ほっと一息です。展示作品については、別途に書こうと思うので、ここではパスして次へ。

 建物は、熱海駅からのバスの発着所のある所から山の斜面を這いのぼるようにして作られています。建物の中腹(こういう言い方はちょっとへんだけど、山の斜面に沿っていることを考えると、こういう方が分かりやすいかも)にも玄関があり、そこから外に出てみることに。

OutstearsOutside

 テラスには警備の方がひとり。この方もステキでした。
 お客さんに写真撮影を頼まれると、イヤな顔ひとつせずにせっせとシャッター係を努めていらっしゃいました。連れを引きずって、私もおねだり。素敵な写真をありがとうございました。

 警備員さんて、無愛想っていう印象があったのですが、ここの方々は大違い。
「楽しんでいって欲しい」というホスピタリティに満ちていました。

 MOA美術館、またまた、好感度上昇です。

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MOA美術館へ(〜via 白い電車)

 2月17日、熱海のMOA美術館に行ってきました。お目当てはこの時期だけ公開される、尾形光琳の《紅白梅図屏風》。
 熱海といえば有名な温泉地。温泉で優雅に一泊したいところですが、そこをぐっとこらえて今回はケチケチモードです。
 ちなみに地元から熱海に行くにはいくつかルートがあります。
 速い順にならべるとこんな感じ。
 《最速》東京→(新幹線ひかり)→熱海 3750円(37分)
 《速》 東京→(新幹線こだま)→熱海 3750円(50分)
 《やや速セレブ》 東京→(踊り子)→熱海 4070円(1時間16分)
 《ケチケチ》東京→(東海道線・快速)→熱海 1890円(1時間33分)
 《プチセレブ》 新宿→(スーパーはこね1720円)→小田原→(東海道線・普通400円)→熱海 2120円(1時間39分)
 《最ケチケチ》新宿→(小田急・急行850円)→小田原→(東海道線・普通400円)→熱海 1250円(2時間15分)

 地元からは新宿の方が若干近めなことも考えあわせ、《最ケチケチ》ルートを選択。片道3時間ほどかけて、いざ熱海へ。
 
 東海道ルートだと市街地から海沿いを行くので感覚的に移動経路をつかみやすいのですが、小田急だと、一度山を抜けるのでちょっと感じが違います。車内には丹沢山系にハイキングにいく人の姿も多く、居眠りからふと目覚めるたびに山が近くになってきます。海辺の町に行こうとしてるのに、電車はどんどん山に入っていく。熱海からどんどん遠くなっているような気がしてなりません。
 新宿を出て1時間42分。ムダな心配をよそに、電車はきっちり小田原に到着。
 小田原駅では、小田急とJRがコンコースでつながっている上、suicaも使えるので乗り換えは簡単。ここまでくれば、熱海までは東海道線で23分。ゴールは近い!
 
 熱海につくと、改札前は意外にも大混雑。もっと寂れてるかと思ったのですが、意外にもがんばっているようです。
 観光案内所で、前売り入場券を購入し、めざすMOA美術館行きのバスのりばへ。
 熱海駅からMOA美術館まではバスで10分ぐらい。所要時間だけだと「歩けるかも」と思ってしまいそうですが、MOA美術館は山の頂にあり、しかもそこに至る道は、ヘアピンカープ連続した狭い道。そこをバスが通るので、歩いていくのは結構危険そうです。多い時間帯には10〜15分に1本ぐらいでバスがでるので、素直にバスを使った方が無難でしょう。
 ヘヤピンカーブの続く急坂をこともなげにバスを駆る運転手さんの技術に感心している間に、バスはMOA美術館に到着。
 しかし、バスが着いたのは美術館の一番下の入り口。お目当ての屏風に会うためには、さらなる旅路(大げさ)が待っておりました。       つづく

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国立新美術館 中身のお粗末なガラス御殿

 2月10日に、オープンしたばかりの「国立新美術館」に行ってきました。なんとなく大混雑しているような気がしていたのですが、行ってみると土曜の昼にも関わらず、門の側のチケット売り場の前にはさして長い行列もできていず、ちょっと肩すかし。
 その日開催していたのは、《ポンピドー・センター所蔵作品展 異邦人たちのパリ1900-2005》(2/7-5/7、企画展示室2E(2000m2))、《国立新美術館開催記念展 20世紀美術探検—アーティストたちの三つの冒険物語》(1/21-3/19、企画展示室1E、展示室1A~1D(6000m2)、《黒川紀章展—機械の時代から生命の時代へ》(1/21-3/19、展示室2C、2D(2000m2))の3つ。
 《20世紀美術探検》を見ることにして、いざ中へ。
 
 中へ入っての最初の印象は・・「意外とショボイ」。
 曇っていて採光がイマイチだったというのもあるかもしれません。
 闇雲にガラスを使ったハッタリの効いた外観とは裏腹に、中は、がらんとした空間に巨大なコンクリートバケツがドカンを置かれただけ、みたいな殺風景さ。このバケツみたいな2つの巨大なコンクリートの逆円錐は、エントランスホールの目玉(?)らしいのですが、グランドレベルにいると、覆いかぶさってくるようで、あんまり気持ちのいいものではありません。もっとも、このバケツは上から観ればそれなりに面白いのかもしれません(私はさして魅力を感じませんでしたが)。
 外観やバケツがハッタリ満点なのに、フロアを移動するエレベータが貧弱なのも、貧相さを感じる原因のひとつかもしれません。
 もうひとつ、地味な印象の原因は、他の美術館で展覧会の導入部に観られる大画面の作り込みが、エントランスホールからは見られない、というより、制作されていないせいかもしれません。これではどこで何をやってるのかが、一目ではわかりません。エントランスホールの印象は美術館というよりはコンサートホールのようです。
 
気をとりなおして
《20世紀美術探検》へ
 入る時、手渡されたのは、
〈パンフレット:A3判2つ折(外面1c/中面4c)〉:中面はフロア図、表1/表4にコンセプトを説明する文章。
〈パンフレット:A5判20頁(4c)〉:作品のカラー写真と子供向け風解説文(小学校高学年(?)以上向け)
〈リーフレット:B4判片面1c〉:田中功起の展示エリアの説明

・・・出品リストがありません・・
見落としたんでしょうか?上記3点は入り口で係の方がセットにして渡してくれました。
って、ことは始めから作っていないってことでしょうか?
それとも、企画側は「出品リストなんて必要ない」って思ってるってことなんでしょうか・・・。

何はともあれ、
なんだか地味な入り口を抜けて、第一のエリアへ。

ここで、この日何度目かのガッカリに遭遇。

 目の前には安っぽいクロスの壁に、これまた安っぽいアルミのレールが取り付けられ、そこから下げられたワイヤーで絵が吊られておりました。いまどき役所のギャラリーだってこんなみすぼらしい見せ方しないだろうってくらいの貧相さ。思わず天をあおげば、壁と天井の間に隙間が・・・。どうやら、壁面の可動性を重視してるらしいです。
 でも、これって、展示エリアが密閉されていない、ということですね。ちなみに、エントランスホールの例のバケツの上面には、レストランとカフェがありますが、いわゆるオープンカフェ状態です。エントランスの混雑が巻き上げるホコリもそうだけど、虫害とか考えてるんでしょうかね。
 
 外観が豪勢だっただけに、見識の無さがひときわ感じられます。
 
 気をとりなおして、先へ。
 
第II部は、工芸や印刷という興味を持っている分野ということもあって、展示方法はともかく楽しくみることができました。展示面積が広いだけあって、点数も多かったし。特にロシアアヴァンギャルドが充実していたような気がします。残念ながら図録買ってない上、作品リストがないので、正確な作品名はあげられませんけど。
 バウハウス関連の文献で名前だけは知っていたモホイ・ナジの実際の作品を見つけた時は、ちょっとした感動でした。うれしい驚きは他にもありました。イタリア未来派が語られる時によく引用される彫刻ウンベルト・ボッチョーニの彫刻も展示されていいたのです。
 紙で作った巨大な人物の頭部像もいかしてました。
 珍しいものとしては、タトリンの第三インターナショナル記念塔が作られた世界の風景をCGで構築した映像作品がありました。でも、これ何もしらないと実際にそういう構造物がロシアにあると錯覚してしまいます。この映像が虚構であるというテロップがでるのだけど、英文でしかもすぐ画面が切り替わってしまうので、英語のできる人でないとわかりません。それにも関わらず、それを説明するキャプションもなかったし。現に隣にいた熟年夫妻は本物だと思っていた気配でした。(マズイでしょ、それは)
 他にも、キャプションがどこにあるのかわからないものがあって、係の人に聞くことが何度もありました。出品リストがあれば、そんなこともあまりしなくて済んだと思うのですが・・・。

 キャプション類の不備は、このあたりまではなんとかなりました。なぜなら、第II部の第1章までは、〈第三インターナショナル記念塔のCG〉を除けば、絵や彫刻、ポスターや工芸品など、見てすぐわかるものばかりだからです。
 
 ところが・・・・。

後半になると、よりわかりにくくなってきます。

まず、どこからが作品なのかわかりにくい。
参加型か非参加型かわかりにくい。

印象的だったのは、
床に直置きされたスレートのオブジェ。動線上に置かれていて、何のケアもしていないので、不注意な人なら踏み込んでしまうような置き方がなされていました。

ここで、私は悩んでしまいました。

これは、普通によけて鑑賞するものなのだろうか?
それとも、わざわざ足をひっかけそうな所に何の註釈もなく置いてあるということは、
鑑賞者が躓いたりして、配置が変わっていくことを狙ったものなんだろうか?  と。

穴の開いた、遊具のようなオブジェもありました。

ここでもおなじ疑問です。

遠巻きにして鑑賞してほしいのだろうか?
穴に首をつっこんでほしいのだろうか?

なぜ悩んだかというと、
触るな、近寄るな、という注意が一切なかったからです。
現代アートの場合、触れてもらうという趣旨の作品もあるわけですから、
この辺は、はっきりしてもらわないと困ります。


で、作品に思いっきり近づいたら、係の人が怖い顔して飛んできました。

なら、最初からわかりやすく展示してほしいものです。

後の方の作品には、ちゃんと注意が掲示されてました。担当者ごとに方針がちがうんでしょうかねえ。

展示はまだつづきます。なんといっても6000m2です。

第III部は
まさに現代といった感じです。

アンドレア・ジッテル、シムリン・ギル、コーネリア・パーカー、高柳恵理、田中功起、マイケル・クレイグ=マーティンという6人の作家の作品が展示されています。

一番わからなかったのが、高柳恵理の凡庸な生け花が作品として展示されていたことです。
他の5人はまだ、なんとなく、感じるものもありましたが、この生け花は意味不明です。生け花そのものが作品として力をもっているのであればいざ知らず、そうでないものを仰々しく見せる(意図的な凡庸さというわけでもなさそうだった)ぐらいなら、タイトルボードだけを出した方が気がきいてると思います。じっさい、最初はそういう作品だと思ってて、生け花見てがっかりしてしまいました。

マイケル・クレイグ=マーティンの作品は、個室風に広くブースを切って、大画面にイラストを並べて投影し、それを切り替えていくといったものでした。こういう仕掛けは大きいハコならではといった感じです。でも、同じように大画面作品を扱った森美術館のビル・ヴィオラ展と比べると、今ひとつ安っぽい感じが否めません。


まあ、全体的に安っぽくて、量だけはあるけど、内容に関する鑑賞者の興味に対しては無頓着で不親切。パンフなどからは、美術館側の言うことだけ聞いていればいい、みたいなセンスを感じます。サイトのトップに業者の入札案内を載せちゃうセンスも凄いです。いかにも、お役所仕事。
きょうび、地方自治体の美術館の方がよっぽどましです。

「展示のみ」を宣言してるにもかかわらず、このお粗末な展示ぶり。これがNATIONAL ART CENTERっていうのが、現代の日本の政府のお粗末さを象徴してるような気がします。

ちなみに、この建物総工費
nikkei bp.jpでは
http://bizns.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/search/wcs-bun.cgi?ID=312997&FORM=biztechnews
365億円とでていました。

365億円もかけたにしては、お粗末すぎる内容。
費用のほとんどが、外観に使われてるような気がしてなりません。
足場みたいなムダな装飾ガラスやめただけでも、内部に相当お金をかけられたはず。
美術館って、まず中身なんじゃないですかね。でも、お偉いさんや黒川紀章センセーにとっては違かったみたいですね。

なんで、こんなデザインになったのか、経緯を調べてたら、以下のサイトを発見しました。これを読んで、お粗末さの理由がわかったような気がします。

関連記事
美術ジャーナリスト:藤田一人Kazuhito Fujita の
藤田一人連載
http://www33.ocn.ne.jp/~artv_tenpyo/tenpyo/webtenpyo/fujita/fuji-1.html

追記1
3階の図書室は、過去の展覧会のカタログなどが豊富に取り揃えられていて、いいけど、狭すぎです。せめて3階全部を図書室にして一般開放されたアートリサーチセンターとかにしてくれてれば良かったのに。

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